青の部分は「邪馬壱国」の範囲。水色の部分は投馬国と狗奴国の範囲。
「倭人在帯方東南大海之中依山島爲国邑舊百余国漢時有朝見者今使譯所通三十国」
と書かれているので倭人の国の国数は「三十国」とわかります。
倭人の住む国についてなので敵味方関係なく倭人の国が「三十国」という意味です。
陳寿が国名を書いた、
狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、
斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、弥奴国、好古都国、
不呼国、姐奴国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、
鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、
鳥奴国、奴国。
の二十八ヶ国と投馬国と狗奴国を合わせると「三十国」になる。
途中の不弥国までが詳しく書かれていて、これは後の
「自女王国以北其戸数道里可得略載」の意味。
次の斯馬国からは「其余旁国遠絶不可得詳」
と書かれ、離れているので詳しくはわからないと書いてあります。
狗奴国は「女王」の範囲ではないとハッキリわかりますが、れっきとした「倭人」の国ですし、
投馬国は五万余戸と書かれていて奴国二万余戸があるように、
この二国だけで邪馬台国七万余戸ということはありえないので
狗奴国と投馬国は邪馬台国の範囲にはなかった「倭人」の国だと思います。
そして
二十八ヶ国と狗奴国と投馬国を加えたものが「倭人・・・・・三十国」の意味です。
狗邪韓国以外の前半は北部九州の国々が紹介されており、
「其余旁国遠絶不可得詳」と書かれた国々も海という表記は見当たりませんので、
全て九州内に存在したと思われます。
陳寿が書いた国名をまとめると
「倭国」とは上記に書いた三十国。
「邪馬台国」とは「三十国」から投馬国と狗奴国を除いた二十八国。
「女王」
とは「邪馬台国」と同意。
「女王国」とは二十八ヶ国の中の一国である伊都国。
このようにまとめるとわかりやすい。
伊都国を見る
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