伊都国女王卑弥呼 >豊玉姫



豊玉姫



現代では女王卑弥呼といえば誰でも知っている名前です。 しかし女王卑弥呼と書いたのは中国人であることを忘れてはいけません。 ということは当時日本では何と言う名前だったかを知っている人はいないのです。

女王卑弥呼は天照大御神だという人はたくさんいます。 たしかにそうかもしれません。 しかしこのサイトでは女王卑弥呼は女王国の女王であって、女王国は伊都国であり その墓は 平原遺跡 であると結論に至りました。

図1 この結論から卑弥呼は誰かと考えた場合、少なくとも天照大御神ではないということが分かります。 平原遺跡 を発掘した原田大六氏は著書「実在した神話」の中で、 平原遺跡 を平原弥生古墳と名付け その被葬者を玉依姫としました。

またオオヒルメノムチ(天照大御神の別名)であるとしました。 そして原田氏は 平原遺跡 を女王卑弥呼の墓だとは考えていなかったのです。 また 倭国乱の時期 を後漢書の范曄が述べたように「桓霊」の間の年代とされていたと思います。 そしてこれは現代でも常識となっています。

しかし 倭国乱の時期 のページでも述べたようにこの年代観は明らかに無理があります。 「桓霊」の間の年代は2世紀であるので当然2世紀に共立された女王卑弥呼が存在したことになりますが、 その卑弥呼は240年代後半に亡くなるのです。これでは長寿だとしても説明ができません。

また 平原遺跡 は弥生後期後半とされました。 これでは原田氏が卑弥呼と 平原遺跡 が別の時代のものと考えるのは無理はないと思います。 私は倭国乱の時期は漢が滅亡する220年から230頃と考えています。 220年の漢の滅亡が日本列島に影響を与え、倭国乱の原因となり女王卑弥呼の共立に繋がったと 考えているのです。

これだと240年代後半に亡くなる女王卑弥呼の年代と重なるわけですし、 共立された時ある程度歳を重ねていたという記述からもおかしくありません。 以上から私は 平原遺跡 は女王卑弥呼の墓だと考えているので玉依姫というのは違うと思います。 玉依姫と豊玉姫は姉妹です。玉依姫は妹です。

魏志倭人伝に依れば女王卑弥呼が亡くなった後、男王が王になり国がまとまらずに 戦いが始まり、そして女王卑弥呼の宗女壱与が王となりました。 この文からすれば 平原遺跡 の被葬者は玉依姫というよりも姉である豊玉姫の方が 可能性が高いのではないでしょうか。

豊玉姫は文字どうり玉をたくさん持っていたようなので 平原遺跡 から多く出土した装飾品が あてはまる気がします。

また古事記にある豊玉姫の「赤玉は緒さへ光れど白玉の君が装いし貴くありけり」 これは妹、玉依姫に残したものですが、豊玉姫の時代には赤玉が存在したことがわかります。 平原遺跡 から出土した赤い管玉があるのでこれを根拠に 平原遺跡 の被葬者は豊玉姫だと私は考えています。

豊玉姫がどの様な人だったかというのは日向二代、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)と結婚していました。 だから夫がいない女王卑弥呼とは別人であるという方はいらっしゃると思います。 また伊都国には豊玉姫が彦火火出見尊を追って上陸した地として志登神社があります。 伊都国には天孫降臨の地が櫛触山(クシフル山)ではないかという説もあります。 (天孫降臨の地は筑紫の日向の高千穂のクシフルの峰)。

三雲南小路遺跡の王から井原鑓溝遺跡の王があり 平原遺跡 の王には数百年の開きがあり これを何らかの形で日向三代として表現しているように思えます。

日向一代がニニギノミコトであり、この妻、妃が細石神社に祭られています。 このそばには伊都国の三大王墓の中でも古い三雲南小路遺跡があるのでここと仮定します。 日向二代の彦火火出見尊がこれに続く井原鑓溝遺跡。ここは江戸時代に発見されていて 場所もはっきりしていませんが、(生誕地八竜の森)や三雲南小路遺跡の近くにあります。

また井原鑓溝遺跡は二世紀と考えているので井原鑓溝遺跡の王と平原遺跡の女王が 夫婦であることはおかしいとは思いますが、日本書記、古事記にのこる神話はあくまでも神話です。 過去の出来事を神話として残す場合、現実を象徴的にしたのが神話です。 ここでは二代目の井原鑓溝遺跡の王は二世紀であり現実に妻はいたと思います。

豊玉姫は夫、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)を追って伊都国にやってきました。 二世紀の彦火火出見尊の後の王は豊玉姫(三世紀)だと表現しているように思えます。 また卑弥呼は共立された女王であり、夫も居なかったと書かれています。 夫がいなかったから二世紀の王、彦火火出見尊と夫婦として表現されているのではないでしょうか。

女王卑弥呼が豊玉姫であり日向三代目のウガヤフキアエズノミコトと妹の玉依姫が結婚したので、 魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の直後の男王が日向三代、ウガヤフキアエズノミコト、 女王壱与が玉依姫と考えるのは適当でしょうか。

「筑紫」は文字どうり福岡を指します、 「日向」は伊都国にある日向峠(ひなた峠)が地名として残っています。 「クシフルの峰」は櫛触山があります。そして櫛触山と日向峠は目の前にあります。 また原田氏によれば、 平原遺跡 にあった鳥居の方角は日向峠と高祖山 (頂上が二つあって 平原遺跡 から見て左が高祖山、右が櫛触山)を向いていたとされています。

これがもし事実であるならば、天照大御神は別の場所にいて、天孫であるニニギノミコトが 櫛触山に降臨し、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメ(細石神社の祭神) 妹のイワナガヒメと結婚し、 子である彦火火出見尊(生誕地八竜の森)が豊玉姫(志登神社の祭神)と結婚し、 子であるウガヤフキアエズノミコトと妹である玉依姫(高祖神社の祭神)が結婚し、 その子である神武天皇が 日向(ひなた)の地を出発した。と繋がるのです。

興味深いのはこれらが事実だとすれば伊都国の 狭い肉眼で見える範囲にこれらの神社や山、遺跡が揃っていることです。

志登神社 志登神社

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