三雲・井原遺跡上覚地区現地説明会
平成22年3月に行われた現地説明会に行った。
今年に入り前原市が合併し糸島市となってから最初の現地説明会参加である。
前回参加した鑓溝地区1094番地はやはり近いが、今回は上覚地区になる。
場所は三雲南小路遺跡の目の前にあった。
というのも今回の新聞報道では北東隅に見つかった溝が三雲南小路遺跡の周溝に繋がっている
のではないか?またこれとは別の墳丘墓の一部かも、という内容だった。
その日は朝から天気に恵まれず、説明会に不安だった。
現地に着くと前回と同じ方が説明をされていたが、そろそろ時間だと考えていたその時
「本日の説明会は中止」とのことだった。しかし人は来るだろうということで
足を運び熱心に一人で非公式な説明会をされたEさんに感謝。
問題の溝は9メートルあり、まっすぐ三雲南小路遺跡の周溝に伸びているようにみえる。
もしそうであるならば、30メートル級から50メートル級に拡大され紀元前後頃の墳丘としては
突出したものとなる。
上覚地区の溝と三雲南小路遺跡の周溝は時期が同じであり繋がっていた とすると簡単だが実はそうでもないようだ。
三雲南小路遺跡の形は現在復元され形が外からわかる 様になっており、周溝の南西端は完全に途切れており周溝の南東側から伸びてきた溝の先端も一部、 資料上確認できる。
上覚地区の溝は水が流れた形跡がないそうだ。南端も途切れていて周りにもそれに繋がる溝がない ことから、三雲南小路遺跡の周溝とは別の目的で掘られたと考えられる。 正方形が4つ並んでいるのは後の時代の住居跡であり、断面を見ても溝の南端はここで終わっている。
新聞報道や現地説明会ではこの上覚地区の溝に注目が集まったが、そもそも井原で 今後注目されるのは江戸時代に見つかり場所が特定できていない井原鑓溝王墓である。 その場所は三雲と井原の境付近にあり江戸時代、溝岸を突いたところ「壷」があり中から鏡や巴型銅器 等が発見された。その場所を見つける為にこの地区を発掘調査しているのである。 今回の上覚地区の調査で江戸時代の水路が見つかっていることからこちらに注目してみたい。 上の画像は南側から撮影したもので南、(手前側)に更に伸びていると思われる。
三雲南小路王墓から撮影。 水路はまっすぐ南側に伸びていた。ビニールハウスの向こうが井原と三雲の境だ。
立ち寄った伊都国歴史博物館で原田大六氏の銅像を撮影。以前にも撮影したが画質がまったく違う。
帰りに立ち寄ったのが日向峠にある案内図。鏡が巨大だ。