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今宿五郎江遺跡



先日、新聞に今宿五郎江遺跡で環濠集落が見つかったという記事を見た。 そこで現地説明会があるというので行ってきました。

場所は既にわかっていたし、現地も最近通った時に発掘していたのですぐにわかった。 今宿五郎江遺跡は既に何度も発掘調査が行なわれていて小学校の校門前にも説明板がある。 まず、小学校の東側にある現場に行ってきた。 ここは今宿五郎江遺跡13次地点で発掘現場はあったが、無人でありブルーシートで 覆われていて見ることができなかった。

大塚11次1説明会

説明会



そのまま今回の報道にある現場にむかった。 ここは正確には大塚という場所にあるので大塚11次という所である。 大塚には 今宿大塚古墳という有名な古墳が近くにあり、これは202号国道バイパスからも良く見える。 今回わかったことはこの大塚にある環濠が今までわかっていた環濠とつながり 全体像が見えてきたということである。大塚という場所はあくまでも一部分であり 全体は今宿五郎江に存在する環濠であるのでややこしいけど、 今宿五郎江の環濠集落である。

現場で貰った資料の中の地図を見てみると 環濠がラインで書かれているけど環濠の中には小学校と変電所がある。 しかも大部分だ。小学校の一部以外と変電所は調査していないということで 残念である。 これまでの発掘でたくさんの出土品がでてきているので 全部調べてほしいという希望があるけど、もったいない。

私が注目したのは楽浪系の土器である。今回土器片が一点出土したが環濠全体では 15点程出土したそうである。 職員の方に三雲の楽浪系土器とここの楽浪系土器との関係について質問したが 時代は同じだという答えだった。

伊都国の中心から離れた場所であることや三方を山に囲まれた場所、北側には すぐに海が迫っていた事などが特徴の場所である。 だから防衛的な考えから選ばれたことは間違いない。 伊都国の東端に位置しているという説明だったので そこでやはり職員の方に質問してみた。

伊都国の東はどこまでだったのでしょうか? 長垂にある山まで、という答えだった。 長垂は海岸があり、海まで山が迫っている所。 しかしこの答えには納得できない。なぜなら「イキ」という地名が今宿から見る山の向こう側(東) に存在するからだ。

大塚11次3



一大率と女王 のページに書いたけど壱岐対馬の壱岐は「一大国」と書かれている。 そして伊都国に置かれた「一大率」とは「一大」が同じである。 ということはこの「一大」は「イキ」と読んでいた可能性がある。

西区には壱岐、という地名が存在する、場所は野方遺跡の近くだ。 そこを海側に進むと生(イキ)の松原があるし、そこには壱岐橋や壱岐神社もある。 伊都国には「一大率」が置かれたことは事実である。 だから「イキ」という地名が残っている西区は「一大率」が置かれていた所 であり当然伊都国だったと思う。 私は伊都国の東は室見川ぐらいまでだと考えています。



今回の説明会では伊都国の中心以外にある初の環濠集落という言葉もあった。 しかし「一大率」が西区の早良平野側にあるということは 野方遺跡も伊都国にある環濠集落ということになる。 職員の方に今宿五郎江の環濠と野方遺跡と時代は重なるのか? という質問をしたけど、一緒だという答えだった。

今回貰った資料を見ても環濠が存在したのは220から230年頃までと書かれている。 250年頃「卑弥呼以死」となる卑弥呼が共立 されるのは230年頃だと考える立場からも、 共立され一時的な平和が訪れたと考えれば必要なくなった理由も理解できる。 だから環濠が必要とされなくなったのもこの頃であったはずだ。

また「一大率」が何時、誰が置いたのかは不明だが、 環濠が存在しない230年以降の卑弥呼の時代には 「一大率」が西区の早良平野側にあることからしても、 「一大率」がこの環濠を必要としてなく直接関係なかったとも考えられる。

230年といえば、孫権が求めた夷洲がある。 倭が(わ)でなく倭人(いじん)だった場合、夷洲は倭人の州(九州)だったのだろうか?

大塚11次4南側

南側

大塚11次5内行花文鏡片出土地

内行花文鏡片出土地

今宿五郎江遺跡
今宿五郎江遺跡

異形器台形土製品

異形器台形土製品

今宿五郎江遺跡の出土品

今宿五郎江遺跡の出土品


今宿五郎江13次1


今宿五郎江13次2


今宿五郎江13次3


今宿大塚11次1


今宿大塚11次2


今宿大塚11次3

 

今宿つながりということで10月にまた新しい発見があった。 弥生時代後期の鍛冶工房が見つかったというのだ。 今宿五郎江の環濠を見に行った時、南部分は今宿大塚にある場所だったけど、 この大塚と同じ所にある。場所は環濠の近くではなくて 今宿大塚古墳の西側に隣接した場所だった。202号バイパスの真横にある。

鍛冶炉の他に加工用の石、鉄鏃多数も見つかった。 魏志倭人伝には「鉄鏃或骨鏃」と書かれており今回は作られた鉄鏃と 工房が見つかり伊都国の様子が明らかになった。


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