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筑紫の日向宮「宋史」・外国伝・日本国





伊都国には歴代の王墓がある。しかし歴代の王が存在することはわかっても 名前なんかわかるわけないと思っていた。 日本でも最古級の吉武高木遺跡についても同様だ。 この二つの地域は日向峠で結ばれていて吉武高木遺跡は東側の日向峠途中にある。 ここは福岡市が一望でき、早良平野側にあるので早良王国が存在していたとも考えられていた。

日向峠によって東西にわかれた地域はどちらにも日向という地名が残り、 明確であったが関係ははっきりしなかった。 また東の早良平野側に早良王国が存在したが 伊都国が繁栄する時代になると伊都国か奴国に吸収されたという考え方もあった。

しかし以下の資料を見る限りそうではなく、伊都国の前身が早良平野側にあり、 その後、日向一代ニニギノミコトの天孫降臨という時に日向、櫛触山がある糸島平野側に移ったと考えることが合理的に思える。

宋史」・外国伝・日本国という正史が存在する。 宋の時代に日本から宋に海を渡った人がいるそうだ。 その人物がおみやげとして古代日本の成り立ちともいえる記録を持って行ったそうだ。 それを更に記録したものが「宋史」・外国伝・日本国だ。

そこには驚く内容が書かれていた。 「およそ二十三世、筑紫の日向宮に都があった」と書かれていたのだ。 記紀にでてくる尊が次々に登場し中にはアマテラスまで書かれている。

左に書かれている各名前は現代知られているものとは 所々違う部分もあるが全体としては同じ。 天照大神は十九番目にでてくる。 その後二十一番目に日向三代の一代、天津彦彦火火瓊々杵尊(ニニギノミコト) が書かれていて、 日向二代、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)、日向三代、彦波瀲武廬鳥茲鳥草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)。 と「二十三世」の最後は日向三代が占められて書かれている。

天孫降臨に出てくる筑紫の日向とは南九州だという説が あった。しかしそこには三代しか無く、「宋史」・外国伝・日本国に出てくる「二十三世」 とはかけ離れたものだ。 伊都国女王卑弥呼ではこの天孫降臨の場所は日向峠がある糸島、伊都国と考えていたけど やはり南九州ではなくこの伊都国の地だと考える方が妥当になってきた。

二十一代目から天孫降臨に伴う日向三代が書かれているので これ以前の二十代までが東の早良平野側に存在し、 二十一代目から日向三代として伊都国側に移ったと考えるとわかりやすい。 そして伊都国の中心に 二十一代目ニニギノミコトの妃を祀っている細石神社があり、 横に三雲南小路遺跡があることは興味深い。

また十九番目にアマテラスが書かれているということは アマテラスが西の伊都国側ではなく東の早良平野側にいたということ を日向三代以前であることからしても、禊払いした場所からも 証明できる。

糸島半島の入り江の近くに豊玉姫が上陸したという 志登神社 があり、これはここから南側の 伊都国の中心部に豊玉姫が居住していたということを意味していることは安易に分かる。 これと一緒でイザナギとイザナミが禊払いをしてアマテラスが誕生した小戸は福岡市西区小戸にあるから その南側の早良平野側にいたということは考えられる。

これは十七番目イザナギの尊も十八番目スサノオノミコトも同様で 禊払いした場所が東の早良平野側だから天孫降臨前は いわゆる早良王国が存在した地に居住していたことはずだ。

だからアマテラスに弟がいて卑弥呼の関係と良く似ているからという理由で アマテラスが卑弥呼だという説があるけど日向三代以前であることや禊払いした場所から アマテラスと卑弥呼( 平原遺跡 の被葬者)は別人格になるので これは成り立たない。

現在、縄文時代の次は弥生時代。弥生時代は東京の弥生という地名からきている のは有名な話だけど、この「二十三世」が筑紫の日向宮に都があった時代というのは 日向時代とか伊都国時代という時代区分があってもおかしくないと思う。

細石神社
細石神社の案内

宋史「二十三世」

天御中主
天村雲尊
天八重雲尊
天弥聞尊
天忍勝尊
贍波尊
万魂尊
利々魂尊
国狭槌尊
角襲魂尊
汲津丹尊
面垂見尊
国常立尊
天鑑尊
天万尊
沫名杵尊
伊弉諾尊
素戔烏尊
19.天照大御尊
正哉吾勝速日天押穂耳
21.天彦尊
22.炎尊
23.彦瀲尊

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