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五尺刀二口



女王卑弥呼が貰った物の中で有名なのが親魏倭王の金印、銅鏡百枚です。 しかし金印は未だ出土していないし、鏡もどれがどれだかわからないでいます。 しかしながらこれらがこのようにはっきりしない現状でも別の視点から 考えてみたいと思います。

それは女王卑弥呼が同時に 貰った「五尺刀二口」です。これは 親魏倭王 や「銅鏡百枚」に比べればはるかに 目立たないものだけど正式に貰った物であることには変わりありません。 既に 伊都国女王卑弥呼 の中で前原市の上町向原遺跡から出土した約百二十センチの太刀が 「五尺刀二口」のうちの一つ。と書いたので既出ですが、ここでもう一度 強調して言いたいと思います。

まず尺の長さが時代によって違うということが考えられるけど、魏の時代の一尺の 長さは約二十四センチであることは調べるとわかります。よって五尺の長さは 約百二十センチということになります。これがどこの遺跡からでてきても同じだと 考えるのであれば別に評価するところはないように思えます。

しかしこれと 考えられる「五尺刀」の太刀が伊都国と考えられる前原市から出土したのは重要な 歴史的発見だと思います。

少しだけまとめるならば、女王卑弥呼が貰った「五尺刀二口」の一つは既に出土しました。 これは伊都国から出土したもので 女王国 は「伊都国」であるという説を 証明するものです(上町向原遺跡)。現代では金印を重視する傾向にあると思います。 しかし「五尺刀」を重視するのであれば、 女王国 は「伊都国」であるという説を もっと早く理解して頂けるだろうなと思います。

この「五尺刀二口」にはまだ続きがある。私は卑弥呼が貰ったものと主張しているけど、 これを最初に云ったのは私ではないのです。 平原遺跡 の発掘に関わったこともある考古学者がその著書の中で 指摘しています。 「五尺刀」と長さが同じと指摘されているが、 卑弥呼が貰ったものとは断言されていない。 残念なのはその方が伊都国説ではなく、畿内説ということです。

これは伊都国歴史博物館に日本一大きな鏡と同じ部屋に展示してあるので 実物を目にすることができます。近年科学的調査が行なわれ、記憶が確かならば 二世紀のもとだったと思います。存在した古墳は前期古墳のもの。

実際目の当たりにすると同じ部屋にある大型の内行花文鏡の方に目が行くかもしれない。 私もそうだった。私が行った時にボランティアの方とその太刀について話をしたことが あるけど、五尺の話をしたらご存知だった。 勉強されていてノートにちゃんと記載されていた。 発掘当時の記録がないので正式には言うことができないそうだ。

この話を聞いたとき正直ヤッタと思ったし、一部の方々だけでも「五尺刀」に ついて認識されているとわかったからうれしかった。 しかしその「五尺刀」と女王墓である 平原遺跡魏志倭人伝 のいう 女王国 が結びつかないのはやはり仕方がないのだろうか。

私は考古学者じゃないけどこれは考古学的に「五尺刀」だと思うし、 魏志倭人伝 からみても 女王国 である伊都国から出土するのは別におかしな 話ではない。

今後「五尺刀」が認識されていく為にはもう一方の「五尺刀」が 出土しないといけないのだろうか?「五尺刀」が二口そろえば 誰にでも納得できる証拠となる。 それとも金印が出土しないといけないのだろうか?

実際、金印だけでなく銀印も貰っているし、しかも複数だ。 印だけで考えると金印よりも銀印の方が出土する可能性が高い。

九州説、畿内説の両方が納得する出土物は金印だ。 それが出土したらそこが邪馬台国だと納得するそうだ。 それはそれでいいと思うけど、もう少し他の可能性を考えてほしい。 それが「五尺刀」だ。

博物館横
伊都国歴史博物館横

玄関
伊都国歴史博物館玄関

全景
伊都国歴史博物館全景


伊都国を見る
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